マンガの歴史③江戸時代編
日本でマンガが誕生した平安時代あたりは庶民には縁遠く、貴族を中心とした上流階級の人たちなどに親しまれていたようです。 しかし時代が進むにつれて庶民にも愛されるようになり、江戸時代に入るとこれまでの作品とは違った雰囲気となり、身近な存在となりました。
現在のマンガコミックは江戸時代の文化を引き継いでいる部分もあるので、マンガ広告作成を検討している場合には知っておきたい部分です。
江戸時代にマンガ文化が花開いた理由とは
江戸時代に入り日本国内が落ち着きを見せ始めると争いのことを大勢の人たちが忘れ、日常生活を豊かにするための工夫が様々な場所で行われるようになりました。 そんな時に文化が誕生しマンガをはじめとした娯楽が一般化し始めました。
特に1700年代はじめには戯画が世の中に広まりましたが、それは商品としての位置付けが明確になり世の中に広まったからです。 たくさんの作者が誕生しましたが、1800年代に入ると葛飾北斎の北斎漫画が発刊されるようになり、瞬く間に人気を得ることができました。
これは1814年のことですがその後も作り続けられ全部で15編存在しています。
もともとは画家を目指すための人のための教本として作られましたが様々な人たちから評判が高く、結果的に幅広い人たちに普及したわけです。 ここまで北斎漫画が注目された理由のひとつに、多種多様な内容が含まれていることが挙げられ、妖怪ものや今で言う変顔、職業に関するものなど多彩でマンガをひとつの文化として確立させることができました。
江戸時代にこの文化が花開いた理由は、商品化がなされたことを、戦乱が終了し日本全体に娯楽を楽しむ余裕が生まれたこと、そして葛飾北斎をはじめとした優秀な作家が誕生したことが挙げられます。
江戸時代のマンガの特徴について
江戸時代といっても1603年から1868年まで150年以上続いたのでその時々によってマンガの特徴は大きく異なります。
しかし全体を通していえるのが現在のマンガ等は大きく異なる点が多いことです。
しかし現在のマンガの最大の特徴でもあるコマ割りのような技法を江戸時代でも使用しており、それは北斎漫画においても見ることができます。
順にイラストを追っていけばきちんとストーリーが理解でき、コマの中には文字も含まれているため内容の理解は非常に行いやすかったようです。 戯画が主流であったといっても過言ではなく、浮世絵の誕生によってそれらが組み合わされ、マンガ的な要素が加えられた作品も出てきています。
作品によっては吹き出しが使用されており、マンガの制作方法に関しても原作者と作画家のすみわけが行われるケースも合ったようです。 現在のマンガ作品に比べるとシンプルではありますが、マンガ文化が日本で始まった平安時代に比べると華やかさや派手さが加わり、読みごたえのある作品が増えています。
おわりに
昔から続くマンガ文化が花開いて庶民にも受け入れられたのが江戸時代のことであり、現在の作品に通じる技法や雰囲気が当時の作品から感じ取れます。
葛飾北斎や十返舎一九といった歴史上の偉人もマンガ制作に携わっていて、娯楽のための芸術として確立されました。
次回は、マンガの歴史明治~戦中編です!